きっかけは新明館三代目当主が
自ら掘った洞窟風呂でした。
1964年にやまなみハイウェイが開通し、注目された黒川温泉ですがそのブームは長く続きませんでした。しかし黒川温泉が一時的なブームを越え、長く愛されるきっかけをつくったのが新明館の洞窟風呂と九州ではまだ珍しかった露天風呂です。洞窟風呂は24歳であった新明館三代目館主が自らノミを持ち三年半の歳月をかけて完成しました。
黒川温泉の街全体が
「一つの宿 通りは廊下 旅館は客室」。
より多くの方々がこの地を訪れるように。
新明館以外の旅館も次々に露天風呂をつくり黒川温泉が話題を呼び多くの女性をはじめとした方々の人気を集めはじめました。しかし中には露天風呂を作ることができない温泉旅館も生まれたのです。そこではじめられたのが、露天風呂のない旅館にお泊まりのお客様にも他の旅館の露天風呂が利用いただける「入湯手形」で黒川を訪れる多くの方々に評判をいただくようになりました。
「あるがままの自然」をテーマに
さまざまな工夫を凝らし
黒川温泉がさらに注目を集めました。
お客様が求めているのは「あるがままの自然」だという結論にたどりついた黒川温泉の旅館主たちは、全員で協力して木を植え替え、温泉街に立てられていたすべての看板約200本を撤去しました。その結果、まち全体が自然に包まれたような風景が生まれ、宿には鄙びた湯のまちの情緒が蘇ったのです。新明館をきっかけに生まれた黒川温泉独特の佇まいを、温泉街の中心を流れる川のほとりで、これからも守り続けていきたいと思っています。